旅行記を中心に、管理人KAMの人生に影響を与えた経験や本、映画等々を紹介していくブログです。
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今日は早朝に気球にのって、昼間はツアーに参加する予定だ。 気球にのってレッドバレーや、ローズバレー、ゼブラバレーを見て回る。 昨日に引き続き、またまた感動!! 昨日はあんなに汗だくで泥だらけで、大地を這いずり回ってたのに。。。 今日は、優雅に空からカッパドキアを一望する。 気球ツアーは、色々あるが基本的に中身は一緒だ。 でも値段が違う。 じゃあ、何が違うかというと『パイロットの腕』だ。 間違いなくお勧めできるのは、エズエアーのハサンだ。 カッパドキアで最初の気球のパイロット。 気球は、各バレーの見所をスレスレで飛んでいく。 しかも全員が見えるように回転しながら。。 気球の乗客は自分以外は、ひとつの日本人ツアー団体だった。 ツアーは沖縄の定年退職者ツアーいった感じの方々だった。 着陸後にシャンパンで乾杯。
宿で朝飯を食べてからツアーに参加。 紀元前400年以上前からあったという、デリンクユの地下都市を見学する。 この地下都市はアラブ人から逃れたキリスト教徒達が、一時期は4万人もすんでいたという程大きな地下都市で、礼拝堂や、学校や厨房等がある。 通気孔が地下まであり、想像よりも閉塞感や、息苦しさはなかった。 ウフララ渓谷を散策して、昼飯を食べる。 清清しい空気で羊がいたりと、渓谷は綺麗だったが、観光客が捨てたゴミが目に付いたのが残念だった。 スターウォーズのロケ地にいき、 ピジョンバレーにいく。 ツアーを終え、ホテルに帰ってチェックアウトを済ませる。ギョレメの街でツアーで一緒になった学生さんたちと、晩飯を食べてから、パムッカレ行きのバスに乗る。 ツアーで一緒だった学生さんたちも、違うバスだがパムッカレへ行くので、学生さん達とパムッカレで待ち合わせをした。 そして、明日の夜にいくセルチュクにW氏も行くそうなので、晩飯の待ち合わせもした。
早朝の6時にデニズリのオトガルにつく。 次の目的地のエフェス(セルチュク)への電車のチケットを駅で買う。 オトガルで、ギョレメで一緒だった学生さん達と再会し、朝飯を食べる。 羊の胃袋のスープを飲む。モツを、ヨーグルトで煮込んだかんじだった。 それにしてもトルコのパンは旨い! エルメッキという世界で一番おいしいパンらしい。 いつもレストランではバケツ一杯ぐらいでてくる。 学生さん達と別れ、先にパムッカレ村に向かう、麓の村の郵便局『PTT』で両替をしたが、予想通りトルコも郵便局員はとろかった。
結構早くきたのでパムッカレの石灰棚には人がまだほとんどいない。 独り占めでーす。 石灰棚は素足で歩かなければいない。結構足の裏い痛い。 パムッカレの石灰棚の上に、あるヒエロポリスは、まだ人がいない静かな佇まいが素晴らしかった。 人のいないパムッカレで、学生さんと再会し、パムッカレの絶景を前にワインを飲む。 その後、遺跡の中にある温泉プールにで泳ぐ。 深いところでは水深4Mもあり、水中眼鏡を借りて遺跡の柱の下を潜ったりと楽しかった。 昼過ぎに遺跡を離れて、バスでデニズリに戻り、鉄道でセルチュクに向かう。 電車の中はまさに、『世界の車窓から』の世界だった。 あの曲が頭の中に流れ続ける。 途中から向かい合わせで座ったデブのおっちゃんと1時間ぐらい話す。 おっちゃんは英語がほとんど話せなかったが、1時間以上、なんやかやと話をしていた。 結構ツーカーの仲になった。 小学校の先生らしく、生徒も一緒の電車に乗っていて、何人も席に来ては会話に参加してくれた。 小学生は、先生とのツーカーの仲をみて本気で「トルコ語なんでわかるの?」って不思議そうな顔をしていた。 この旅では、言語が通じないけど、コミュニケーションが出来ることがよくあった。 人間って不思議だ。 言葉が通じてもコミュニケーションが成り立たない人も結構いるのに。。。 それにしてもトルコ人って、人懐っこい人たちだ。 セルチュクでは、ギョレメで約束してたW氏と駅で会えた。 W氏と飯を食い、エフェス情報を聞いて、翌日の計画を立てる。
バスは、イスタンブールに6時半に到着。 今日はついてないなぁ。雨だ。 眠い目をこすりながらバスを降りると、トニーがW氏の荷物を知らないおっさんに渡している。 おっさんが荷物を持ってずんずん進んでいく。 思わず朝から声を荒げると、おっさんがビクッと振り向いてとまる。 荷を取り上げると、おっさんがトニーに文句をいっている。 どうやらトニーはタクシーに乗ると思って気を利かして荷物を渡しただけらしい。 ただのミスコミュニケーションだったが、正直めんどくさいので、W氏がいない間にこの場でトニーに少し強めに別れを告げる。 寂しそうな目をして、チョット可哀想な気がしたが、旅の最後で変なところ気を使うのは嫌だったのでしょうがない。。
荷物をバス会社に預けて、彼に別れを告げ、イスタンブール観光にいく。 ボルボラス海峡と、金閣湾を通勤用の船で渡り、観光をする。 そして新市街観光にガラタ塔にのぼりアジア、ヨーロッパ側の大陸を見渡す。 大陸でアジア・ヨーロッパをつなぐ接点と、エーゲ海(ヨーロッパ)と黒海(ロシア)をつなぐ接点が、まさにここイスタンブールなのだ。 軍事的・政治的・商業的な要衝だということが、実感できた。 ギリシア帝国時代エーゲ海と、黒海をつなぐ海路は非常に、重要だったそうだ。 ギリシャの中心地アテネは、小麦の消費のほとんどを黒海周辺からの輸入に頼っていたようで、ボルボラス海峡を押さえることでアテネへの食糧供給路を絶つことができたのだ。 現在でも、文化的にはヨーロッパと中東の架け橋として非常に重要な位置を占めているように思える。 EUにはいまだ加盟できていないが、今後EUがイスラム諸国と付き合っていくために、そして現在増えつつある EU内にいるイスラム教徒との付き合いかたのモデルとして、トルコの果たす役割は大きいのではないかとおもう。 その後、グランバザールに行き、今日日本に帰国してしまうW氏とオトガルで別れる。 オトガルで荷物をピックアップしてホテル探しに向かう。 一番初めに目をつけていたホテルは満室で、その周辺の宿をさがすことに、日本語がメチャメチャ流暢なおじさんが話しかけてくる。 そのおじさんは、宿をやってたけど、今は改装中でやってないとのこと。 おじさんは15年くらい日本に住んでて、外タレを日本でやってたそうだ。 大沢たかおの出ていた深夜特急に出演してたらしい。 そのおじさんの紹介で、二軒となりの宿に結局泊まることに決定。 オーナーは28歳で元カノが日本人だったという、、親の反対で別れたそうだ。 結構いい人だった。 そして、いい部屋だ。 この旅で初めてTVがある部屋だ。 4~6世紀頃に作られた地下の貯水池である地下宮殿を見学。 初日に入れなかったトプカプ宮殿にも訪れた。 グランバザールとエジプシャンバザールや、街を歩きお土産を買い漁る。 夜は韓国料理屋で飯をたべた。 トルコでは、多くの韓国人観光客が幅を利かせていた。 韓国人宿というカンジの安ホテルを各地でみた。
朝飯を食べてからエフェス遺跡にいく。 エジプトの遺跡と比べると見劣りしたが、思ったより大きな遺跡だった。 ただし繊細さでは、エフェス遺跡のほうが数段上だった。 自分がたっているこの場所に、違う時間には、プラトン・アレクサンドロス大王・クレオパトラ・聖母マリア・12使徒のヨハネが訪れたそうだ。 エフェスからセルチュクに戻り、W氏と一緒にバスでイズミルへいく。 他のバス会社のおじさんが親切に、オトガルからタクシーでセルチュクの中心地まで連れて行ってくれた。いい人だった。
イズミルはモデルの出身者が多いというトルコでも新しい街だ。 観光地ではないから観光客を見かけなかった。 エーゲ海沿いを歩き、市場をブラブラと観光する。 晩飯を食ってから、イスタンブールへの夜行バスにのる。 バスに乗る前に話しかけてきたレバノンの少年、トニーがやたらと馴れ馴れしくしてくる。 英語があまり上手くないから、どういうつもりかわからないが、ずーっと着いてくる。 友達が欲しいようにも見えるし、何かを企んでるようにもみえるし。。。うーん。 考えるのが面倒くさい。寝よ。
イスラム国家を初体験! 原理主義者の暴挙の印象が拭えないのは事実だが、悪い宗教じゃないなと感じた。 イスラム教を作ったムハンマドは、『商売人』出身の国際派の『政治家』であり『軍人』でもあった。 かのナポレオンも尊敬していた男だそうだ。 そして、いまでは世界の人口の20%の約13億人がイスラム教徒だ。 エジプトでのイスラム教は、人々の生活を円滑にいかせるの宗教という意味で、原始的な宗教の役割をいまも担っているように感じた。 基本的に暴力的でもなく、平和を望むいい宗教だと感じた。 私の人生で大事なものベスト10には食い込むであろう『酒』を禁じている事を除いてはいい宗教だなぁと思う。 トルコは政教分離を宣言していることもあり、あまりイスラムを感じる場面に出くわさなかった。
今回の旅で何よりも強烈だったのが、エジプトの商人(?)の強引さと、傲慢さ。 目の前のひとの気持ちを考え、相手の機嫌に添えるように行動してしまう自分の弱さ。 断るときも「NO」とはいえたとしても、相手のことをきにして強くは断れない『弱さ』を自分の中にみつけた。 そこに付入る悪意の人々。 結果として今回の旅では、積極的に自分を騙そうとする悪意の人々への対応を学んべたと思う。 初日にエジプト人にまんまとやられた。 タクシーの運ちゃんや、ラクダ商人のおっさん達にだ。 2日目から、考えを変えた。 自分の気持ち優先に行動をする。 もちろん友人関係の中に持ち込んだら、非常によくない考えだと思うが、自分を騙そうとする人や、自分をなめている人間には有効な心構えだとおもった。 エジプトでは、「アイム アングリー!!」といってくるおっさんや、店に行ってなにも買わずに帰ろうとすると、腕を掴んで睨み付けてくるオニーちゃん達や、数人で囲んで「金だせ」といってくるおっさん達がいた。 そういうナメタ輩とは、正面からぶつかった。 日本ではやったことがない程、怒ったり、喧嘩をした。 もちろん口喧嘩。手は出してません。空手家として(笑) でも、よく見るとエジプト人同士もはしょっちゅう、口喧嘩していた。 これがエジプト流なのかも?? ちなみにエジプトで、話かけてくる人の8割はいい人です! 悪意をもっている人も、ガラが悪いだけ、そんなに危険な人達じゃなかった。 トルコは、話しかけてくるが紳士的で、エジプトのような粗暴さがなかった。 ユーロ
エジプトにしても、トルコにしてもユーロが流通していた。 そして貨幣として強い。高い。。 何でこんなに強いのユーロ?? 次回はヨーロッパ旅行に行きたい!
2007年のGWを利用しての一人旅。 前回同様、航空券以外は一切の旅行前の事前予約なし。 しかも今回の事前準備は日本とタイの往復チケットのみで、カンボジアのチケットは、取っていない。 行き当たりばったりの旅。
理由は簡単、アンコールワットがみたいから!! それだけです。 今までの他の旅は、「なぜなんだ?」「どうしてなんだ?」という疑問をたくさん抱えて飛び立ったのですが、今回は気楽に出発しました。 アンコールワットをみたい!!!! という純粋な気持ちだけで。 だから当初タイは、おまけでした。 でもタイは不思議力を持つ国で、帰ってきてすぐに、タイにまたに行きたくなってしまった。 不思議な魅力を持つ国です。
今日はカンボジアへ一気に移動だ。 5時起きでチェックアウトして、タクシーを拾いスワンナプーム国際空港へ。 カオサンでは24時間タクシーが拾える。 昨日も通った新空港には思っていたよりも免税店が沢山あり、朝早くから開いているところがたくさんあった。 カンボジアのシェムリアップへは、バンコクエアラインを利用する。 飛行機ではたまたま隣が日本人で、Sさんと出会った。 カンボジアのシェムリアップ空港は、小さなかわいらしい印象の受ける建物だった。 ガイドブックには入国管理官がボッタクリをすると書かれていて汚職の温床といったイメージをもっていたが、普通にビザを発給してくれた。 ただ、手続き自体は結構いい加減だった。 空港から市内までは飛行機で隣だったSさんとタクシーでむかう。 宿は、Family Guest Houseにした。本当にアットホームな家族がすんでいるゲストハウスだった。 ゲストハウスの人は、観光者摺れしていないいい人達だった。 部屋をチェックしてから、観光の交通手段とかを相談してみる。 ロビーと玄関のあいのこといった感じのスペースで、宿の女将さん風の女性と、その旦那さんっぽいおじさんと相談にのってくれた。テゥクテゥクというバイクに荷台をつけた乗り物を一日レンタルすることに決めた。 旦那さんは簡単な観光プランまで提示してくれた。いい人だ。 すると旦那さんとおもってた人が、じゃあ「テゥクテゥク持ってくるから待っててね」といって出ていった。 そうか宿の人じゃなくてテゥクテゥクの運転手だったんだ。。
旦那さん改め、童顔のテゥクテゥクおじさんに連れられて、まずは今回の旅の目玉であるアンコール・ワットに訪れた。 アンコールは都を意味し、ワットは寺を意味しているヒンデゥー教の寺だ。 遺跡内の彫刻や、石像はクメール建築の傑作に恥じない壮大かつ緻密なつくりだった。 過剰なほど装飾された壁や柱は、異様な存在感を放っていた。 オレンジ色の袈裟を着た坊さんを何人か見かけた。 アンコールワットの風景に非常に映えてフォトジニックだった。 が、よく考えるとヒンデゥー寺院に坊さんか・・。 仏教徒だと、異教の寺にきてるってことになるのかな。 うーん。オレンジの袈裟はヒンデゥーの坊さんか・・・? わからん。。。 まぁいいや。 以前に友人のM氏から、アンコールワットでは毎年死人がでると聞いていたが、やっと納得できた。 遺跡内の階段は想像以上の急勾配で、手も使わないと上れない。ここから転落死するんだ。 アンコールワットの敷地内で売ってた「アンコールビール」を飲んだ。
アンコールトムは城砦都市遺跡で、アンコールワットがヒンデゥー教なのに対してこちらは仏教だ。 バイヨンはヒンデゥーと仏教の混合だ。まじってしまったのには歴史的経緯はあるようだが、多神教同士だから意外と並存できるんだなぁ。 南大門からアンコールトム入り、人面の塔がそびえる宇宙の中心バイヨンをみていると天気雨が降ってきた。 バイヨンのすぐ近くの屋台に雨宿りがてらはいって昼食にすることにした。 徒歩で「隠し子」という意味を持つバブオーン、「天上の宮殿」ピミアナカス、像のテラスをブラブラと眺めてから、テゥクテゥクに乗り込んで、勝利の門からでていく。 そのあとも、おじさんに連れられて、 ・こじんまりとしたトマノン ・修復工事中のチャウ・サイ・テホーダ ・クリスタルの古老という意味を持つ、タ・ケウ ・樹木に取り込まれた遺跡、タ・プローム を見物する。 ちなみに雨のときのテゥクテゥクはこんなカンジ。
遺跡へ向かう道や、屋台などのいたるところで、物売りの子供達が話しかけてくる。 驚くのは、その語学力と演技力だ。 3歳ぐらいで英語で話かけてくる子がいた。 こちらから話かけると、会話にはならないので、同じフレーズの丸暗記なのだろうが、3歳で外国語のフレーズを暗記してるだけですごい。 5・6歳の子は、普通に会話ができた。 自分と同じレベルの英語を話してくる。逆に言えば私の英語力はカンボジアの6歳児並なんだな。。。 10歳ぐらいの子供は流暢な英語を話している子がおおい。 日本語を話せる子もいた。自分の名前を平仮名で書いて教えてくれた子もいた。 みんな悲しそうな顔をして話しかけてくるが、これは商売用の顔で、完全に演技だ。 ちょっと笑わせるとすぐに、元気な子供の顔に戻る。 「哀れみを請う子供と観光客」という構図になってしまうと大変だが、「外人のおにーさんと、遊んでもらう地元の子供」という構図にかえると、お互いに笑顔で過ごせた。やっぱり子供は笑顔が一番!! いろいろと会話ができて、楽しい時間がすごせた。
朝5時に起きてアンコールワットのサンライズを見にいくが、雲が厚くて日の出を見ることはできなかった。 残念。無念。 マーケットで朝飯を食べてから、ベンメリアに移動した。 ベンメリアは、友人のHanaさんにお薦めだったが、シェムリアップからはなれた場所にあったのからあきらめていたけど、昨日かなり効率的に回れたので、遠出ができる時間ができた。 今日も童顔おじさんのテゥクテゥク貸しきりです。
風をきってすすむテゥクテゥクは気分が最高だ。 ウルルン滞在記で出てきそうな道を、2時間半かけてすすむ。 雨季に水が氾濫することへの対策なのか、このあたりの家はホトンドが高床式で2階にあたる部分のみに住んでいるようだった。 いたる所で裸の子供が遊んでいた。 地べたに寝そべって、スコールの泥水で戯れている。 日本の子供だったら一瞬で病気になりそうな水の中で、小さな頃から抗体を育んでいるようだ。 実際に日本人が抗体をもっていない病気がたくさんあるそうだ。 ベンメリアは、自然の中に埋もれた遺跡で、他の遺跡のように観光者のために無理やり生きながらえさせられた遺跡ではなく、今でも遺跡のままの遺跡だった。 いい方を変えると、他の遺跡が観光地化された化粧された遺跡だとすると、ベンメリアは何も施されていないすっぴんの遺跡だ。 観光ルートも確立していなく、崩れた壁を登ったりして、プチアドベンチャーを味わえる遺跡だ。 地元の子供たちがいろんなルートを教えてくれた。 とても生きいきとした素晴らしい遺跡だった。
バンテアイ・スレイに2時間移動する。 今度は舗装のない砂利道や、泥道をすすむ。 テゥクテゥクはだいぶ揺れたが、それでも乗り心地はわるくない。 風を切って進む感触が気持ちいいし、カンボジアの雄大な景色と空を眺めながら進む時間は、とても心地良かった。 道行くバイクには一家5人でのっていたり、小学生が運転していたりと道交法がないようだった。 2日間で2件の交通事故をに遭遇したが、事故をおこしても警察を呼ぶでもなく、喧嘩をして事故後始末をするだけだった。 バンテアイ・スレイは思ったよりも大きな遺跡だった。 入り口の部分の丈が低い独特な遺跡だった。 シェムリアップの街にかえり、オールドマーケットでブラブラと1時間ぐらい物色する。 オールドマーケットはお土産や、金物、生鮮食品が並んでいた。 食品は、肉といよりも死骸に近い肉塊が多く、ドリアンなどの果物もあり、強烈な匂いを放っていた。 市場で働いているほとんどが、女性や子供だ。 警察・役所・運転手は男ばかりだが、後は大抵女性か子供が働いている。
サンセットを見にブノン・バケンにいく。 景色は良かったが曇りだったので、予想通りサンセットは見ることはできなかった。 サンセットどころか、雨まで降ってきて、またスコールに降られてしまった。 傘もないからずぶ濡れになった。 カメラ壊れなくてよかったぁ。 また街に帰って、屋台で晩飯を食う。 屋台では観光者価格で1ドルで飯がたべれるが、現地の人はその4分の一(1000リエル)で食べている。 渡されるメニューは観光客価格で書かれているのだ。 カンボジアでは現地通貨のリエルだけでなく、タイのバーツ、米国ドルが使えた。 ATMは現地通貨での取引ができず、ドルしか取引できない有様だった。 みんな計算が苦手で支払いの時に、簡単な足し算・引き算ができないようだった。 いままでの内戦の歴史を考えれば仕方が無いことかもしれない。 バンコクへの戻りはバスにする事にした。 旅の目的が、その国を知ることであって、観光地を回ることではないので、バスでゆっくりかることは決して無駄な時間ではないと考えたからだ。 8時間~16時間かかるとらしい、8時間も差がある長曖昧な時間予測が、カンボジアらしい。 8時間も差がでる変動要素は何なんだろう。。。 ホテルで明日のバンコク行きのバスのチケットを購入した12ドルだ。 ちなみにカンボジアは治安は悪い。 今日いったベンメリアにはガイドブックには 『テゥクテゥクやバイクタクシーではいかずにきちんとしたツアー会社でガイド付きでいくこと』 と書かれていた。 ただ、人々は非常に親切で愛想がいいので一見安全そうだが、治安がわるい。 強盗・強姦事件が後をたたないそうだ。 エジプトの逆だなぁと思った。 ガラが悪いが治安のいいえエジプトと、人はいいが治安の悪いカンボジア。