旅行記を中心に、管理人KAMの人生に影響を与えた経験や本、映画等々を紹介していくブログです。
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2007年の3月、仕事の切れ目を見計らい半ば無理やりとった2週間の休暇。 エジプト・トルコへのバックパッカーでの一人旅。 航空券以外は一切の旅行前の事前予約なし。 行き当たりばったりの旅。 このページは前編のエジプト編です。
理由① アメリカに留学して、同じ部屋で1ヶ月暮らしたトルコの青年オノ。 彼の考えが、よく理解できなかった。 会話はできても、深い部分コミュニケーションが出来なかった。 その原因は、彼個人ではなく、彼の育ったバックグラウンドにあるんだろう。 育った国をみてみたい。 理由② 世界の対立軸は、共産主義(旧ソビエト)と資本主義(アメリカ)の対立から、 資本主義(アメリカ)とイスラム国家(アラブ諸国)に明確にシフトしていると感じる。 世界の嫌われ者アメリカとアラブ諸国が、争っている間に、EU諸国は力を付けている。 そのEU諸国にとってもイスラム諸国との関係は大切になってきている。 世界の政治・経済の中で、アラブ諸国(イスラム国家)の持たらす影響はただ単にオイル マネーを持っているというだけでなく、重要な鍵になってきているとおもう。 ということで、 イスラム国家でかつ見所満載のエジプト ヨーロッパ(キリスト教)と中東アジア(イスラム)の交差点のトルコへ!!
成田空港からカイロ到着までは、14時間30分のフライトだ。 上空から、朝鮮半島や、ゴビ砂漠、カスピ海なんかを見下ろしなが飛んで行く。 窓から広大なゴビ砂漠を眺めながら、 「人間のすんでる都市なんて、ごく一部に過ぎないんだなぁ。」 「人間はちっぽけだなぁ」 なんて当たり前のことを噛み締めながら、感傷に浸っていられたのは一瞬だけで、 フライトは長く退屈だった。 「地球の歩き方」を読み耽るか、寝るか、ボケーっとしているか、それしかやることがなかった。 エジプト航空でアルコール類は出されないのが、私をより退屈にさせた。
夜の11時にカイロ国際空港に到着。 カイロは思ったよりも、涼しくてカラッとしていた。長袖の上着が必要なほどだった。 今日はこの時間から、市内まで移動して、宿を探さなければいけないのだ。 宿の予約をしていないことに、不安はあったが、旅の偶然性や、自由度を大事にしたいから無粋な予約をしなかった。 空港でビザを手に入れて、入国手続きを済ませ、両替をし、預けていたザックをピックアップし、空港の外にでる。 カイロ市内へ
エジプト人の「タクシー?」攻撃をかいくぐりつつ、バスターミナルへ向かった。 時間のせいかタクシー業者はあまりいない。 バス乗り場への道を警備員に聞いてなんとかたどり着けた。 356番バスでダウンタウンへ向かおうと思っていたものの、思わぬ盲点が。 数字がアラビア数字しか書いてない・・。読めない。。。 アラビア数字を調べてみたが努力は徒労におわった。最後のバスは11時だったのだ。 ガイドブックに12時までって書いてあったのに。。。 明らかにタクシー業者じゃない怪しげなおっさんが、40ポンド(800円)で乗せってってやるという話を持ちかけてきたので、 30ポンド(600円)まで値切って、おっちゃんに乗せてもらうことにした。
タクシーの中でおっちゃんが、仕切りに「いいホテルがあるぞ」と進めてくるが、怪しげなおっさんなので誘いに乗らず、タハリール 広場で下ろしてもらって、徒歩でガイドブックで目星をつけていたLialy Hotelに行く。 Lialy Hotelは、地方のエジプト人達も泊まっている安宿で、欧米人のヒッピー風の人たちも結構いた。 空室があり、ほっと胸を撫で下ろす。 とりあえず宿ゲット!! すでに12:00だったが、カイロは結構夜更かしをする街のようで、近くの酒屋はまだ開いていたのでエジプトのステラビールを買って飲んで、 シャワーも浴びずに眠りにつく。 飛行機であまり寝なかったせいか、すぐに寝付けた。
朝6時頃に、ホテルの共同バスルームでシャワーを浴びる。 乾燥して埃っぽい空気のなか浴びるシャワーは気持ち良かった。 ホテルは全体的に、綺麗ではなかったが清潔だ。始めて「綺麗」と「清潔」は別ものだということを認識した。 元々は白かったであろうシーツは汚れが蓄積され、薄黒くなっていて「綺麗」とは思えなかった。 でもしっかり洗われていて「清潔」だった。 ナイル川の上流の街アスワンにいきたかったので、ラムセスステーションへ夜行列車のチケットを買いにいく。 地下鉄に行ってもよかったが、カイロの朝の風景が見たかったので歩くことにした。 ホテルのフロントのおにいちゃんが駅のチケット売り場は朝早くやっているとおしえてくれたが、寝台列車の窓口は9時からだった。 9時前に到着したから時間ができた。 ブラブラとカイロの街を散歩することにした。 焼けたエンジンの匂い。 けたたましくなるクラクション。 排気ガスに混じったオイルの匂い。 呼び込みの大声と怒声。 乾いた空気に、砂埃を巻き上げる車。 バスにしがみつく人々。 行き交う車を縫うように道路を横断していく人々。 「混沌」という言葉がよく似合う街だった。 駅前で1時間ぐらいボケーッと座って、人間観察していた。 やたらとみんなこっちを見てくる。他の国ならそんなに注目されないのに、なんでだ。。。 これじゃ観察してるのかされてるのわからない。 目立つ格好してるわけじゃないのに・・・。 後に気が付いたが、この国は華僑がいないから、アジア人は珍しいようだ。 そういえば、華僑のいない国にははじめきた。 9時に夜行列車のチケット売り場に係りの人が来て、今日の夜のアスワン行きのチケットを買えた。
タクシーでギザのピラミッドへ向かう。 何人かのおっちゃんと値段交渉して、一番安かった15ポンド(300円)でいくことに。タクシーはチケット売り場ではなく、ラクダ乗り場に到着した。 しかも、タクシー代はフィフティーン(15)じゃなくて、フィフティー(50)だといいだす。 「おいおいここは、チケット売り場じゃないだろう、チケットオフィスにいってくれ」と口論しているとラクダ商人のおっさんがタクシーに乗り込んでくる。 タクシーの運ちゃんとラクダ商人のおっちゃんと20分ほど口論。 ラクダ商人のおっちゃんは政府に認定を持っていると写真付きのカードを出してきたり、なんだかんだいってくる。 アラビア語が読めないけど、きっと運転免許書とかなんだろう。 この時点で私のテンションは異様に低くなっていた。 結局、口論に負け、ロバに乗って2時間ほどピラミッドの周りを観光する。 タクシーに50ポンド(1000円)、ロバに150ポンド(3000円)で乗ることに。ぼったくられた。 観光中もおっさんとの駆け引きは続く・・・・。 おっさんいわく、払った150ポンドはお前のロバ代だと、ガイドの俺様への料金と、俺様のロバ代をまだ払ってないといいだす。 そして写真代etcetc. 正直ピラミッドどころじゃない。 おっさんが気になったしょうがない。 メンカウラー王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、クフ王のピラミッドをロバにまたがってみて、スフィンクスも見た。 でも気になるのはおっさん、 どこでどんな罠を仕掛けてくるかわからない。 結局が金がないってことで押し通して、150ポンドを払う。 相場は1時間で20ポンド程だとか。 ちなみにこのおっさん(ハサン)は、明らかに闇業者で、正規の入り口ではないところから砂漠に入り、 あちこちであうツアリストポリスという警官に、袖の下を渡して回ってたし。 「やまもとやまー、はっはっはっ」という日本語がハサンの持ちネタだ。 観光客がほとんどいないルートばかりを通る。 強いて良かったことを上げれば他の観光客がいないことと、通常見れないルートを通れたので発掘作業現場を見れたことかな。 帰りは金がないから、タクシーで帰れないからバス乗り場まで案内しろというと、ロバでバス乗り場まで乗っけていってくれた。 エジプト初日から、なんかいやな思い出を作ってしまった。 せっかくのピラミッドには集中できないはし、おっさん達にはぼられるし。。。。。 少しへこんで、少しエジプトが嫌いになった。 不運(?)はまだまだ続く。 帰りに乗ったバスはエンジントラブルを起こして、途中で止まってしまう。。 タクシーでギザに来るときになんとなく方向感覚は掴んでいたので、歩いてカイロのダウンタウンまで帰ることにした。 方向感覚はつかめていても、まだ距離感覚がつかめていなくて1時間以上歩くはめにになってしまった。 歩いていく道沿いのお店や、学校、公園、路地裏を眺めながら散歩する。
朝3:00にツアーでアブシンベルに出発する。 すごい。 ズーッと砂漠だ。 7:00 アブシンベルに到着。 うーん。 とにかくデカイ。 この遺跡は、とにかくでかい。。 アブシンベルは、アスワンハイダム建設時に、水没する運命だった遺跡だった。 ユネスコが世界中から、お金とアイデアを集めて、そっくりそのまま60M上に移設したそうだ。 こんなでかいものをよくもまぁ、移設したもんだ。 内部の絵や像は、ピラミッドの中身とは違う。 ピラミッドのものより単純でチョットつまらなかった。 中学校時代の歴史の資料集の表紙が、アブシンベル神殿だった。(と思う・・) まさか自分がこの眼で見ることになるとは思わなかったし、想像もしなかった。 ナイル川の上流に列車できて、砂漠を車で横断して、アブシンベルへ。 感慨深いねぇー。 と、バスの出発時刻まで暇だったので感慨に耽ってみた。 そして、こんなとこでもVodafoneは日本で使っている携帯がそのまま使えた。 アブシンベルも圏外じゃなかった。 すごい! 調子に乗って使いすぎて、日本に帰ってから、請求書をみてびっくりしました。。。
その後にバスで移動して、アスワンハイダムの見学にいく。 アスワンハイダムは、ただのダムだが、この国にとっては大きな意味のあるダムだ。 この国の収入は、スエズ運河収入と観光収入に頼る部分が大きいが、国内での自力の産業としては綿製品を中心とする農業だ。 このダムは毎年夏に発生する洪水をコントロールし農業用水を安定化し肥沃な土壌を形成することに役立っただけでなく、ダムの水が蒸発し雲を作り、機構を変え砂漠の緑化も行われているという。 でも、観光客にはただのダムに過ぎない。。 つまらなかった。
イシス神殿に向かう。 バスの中でツアーの人たちとも話すようになった。 台湾人の一人旅の男の子と、女の子と、日本人の新婚旅行の人達がいた。 イシス神殿にいく、この神殿も綺麗な神殿だ。 写真をパシャパシャする。
ツアーは昼下がりに終了し、ホテルの戻る。 飯を食べに、スークにでかける。 定食を食べる。 スークを通って、駅まで電車のチケットを買いに行く。 スークでは何度も何度も、「ジャパニーズ?」と聞かれるので、切り替えしで「エジプシャン?」とか「ヌビアン?」とかえすことにした。 みんな意表をつかれて、不慣れな反応をみせていた。 そうそうエジプトにも日本の水打ちとおなじ風習があった。 電車のチケットを買ったあとに、駅前の広場に座ってボケーっとしていると。 喧嘩しているおっさん達がいた。 口喧嘩は町中のいたるところでやっているが、今回のは違う。 本当に取っ組みあって喧嘩していた。 周りの人が二人を引き離しおさまった。 座っているとガキンチョたちが、よってきたので、喧嘩の背景を聞いてみた。 なにやらガキンチョは、「あのおっさんは、ムスリムじゃないから、おかしいやつなんだ。」 と主張しているようだった。 この国は、イスラム教が国教だ。 他のアラブ諸国と同じでお祈りの時間には、モスクからお経のようなものが大音量で流れてくる。 人種差別的なことはなさそうだが、宗教差別はありそうなかんじだ。 基本的に、危険な宗教ではなさそうだ。 集団生活に規律を与えるという宗教の原始的な役割を果たしていると感じた。 ちなみに喧嘩では、割れたビンで相手を刺したそうだが、警察はこない。 警察は街中に沢山いて、黒い制服にベレー帽をかぶり、マシンガンをぶら下げている。 いつもダラダラとくっちゃべって、チャイという紅茶のんで、アエーシというパンを食べている。 警察に対しては、あまりいい印象をもてなかった。 ちなみに警官とか駅とか空港とか、軍事施設とか撮影すると捕まります。 写真はエレファンティネ島でアエーシ食べて仲良くなった警官に無理行って写真撮らせてもらったもの。 スークのおっちゃんとかはよく怒るし、ガラは悪いが、エジプト治安自体はわるくないとおもった。
朝5:00に起床して、荷造りしてチェックアウトして、駅に向かう。 朝6:00にアスワンを出発し、ルクソールに向かう。乗り心地は結構よい。 9時過ぎにルクソールに到着する。 アスワン→ルクソール間の風景は、サトウキビ畑と砂漠と活気のない街とナイルだ。
ルクソールに到着、いつもどおり宿探しからスタート。 「リトル・ガーデン」という宿を見に行く、安い割りに異様に部屋が綺麗だ。 これは、大当たりかと思ったが、通貨がエジプトポンドではなく、ユーロだった。 でも、ユーロにしても値ごろな値段だ。 決定、設備は今までで一番最高、部屋にシャワーがある! 共同使用じゃない。 それにフロントはカンジがいい。
ホテルで自転車を借りて、ルクソール神殿に向かう。 ルクソール神殿前のマックで、アラビアンマックを食べた。 ルクソール神殿はルクソールの街のど真ん中に立っていて、見応えは十分。 ただ、ツアーの観光客が山のようにきていた。 写真撮りづらい。。。
そのまま自転車でカルナック神殿を見に行く、カルナック神殿もまたすごい! こちらも見応え十分。 ふと気付くと、両腕が日焼けというよりは火傷になりつつあった。 さすが、砂漠気候。 悲しいことにアブシンベルもそうだったが、遺跡には世界中の心無い人々の名前が刻まれていた。 エジプト政府も観光客ももっと、遺跡に敬意を払うべきだ。 アスワンのツアーで一緒になった新婚夫婦と再開した。 ルクソール西岸のツアー情報を教えてくれた。 中々よさそうだった。 よーし、明日のツアーを検討しよう! 砂嵐がすごく、目に砂が入りそうで、自転車での帰りがつらかった。 ホテルに戻ってオーナーのアブドルにツアー情報聞くと、ホテルのものと、教えてもらったものはどうやら違いそうだった。 教えてもらったツアーのほうが安いしよさそうだった。 ツアー会社に行くと、すでに閉店していた。 そのままチャリンコで街中を流して、水だけかって帰って、ホテルでツアーの予約をする。
朝6:30に起床して、7:10に朝飯8:00にツアーの迎えが来る。 日本の学生さんの卒業旅行が多かった。 ツアーでは、メムノンの巨像をみて、王家の谷に行き、トゥトゥメス3世、ラメセス1世、ラメセス4世の墓をみる。 トゥトゥメス3世は、山を登って、かなり急な階段を下りて、墓に入る。中は蒸し熱い。 ラメセス1世は、小さいが、驚くほど色鮮やか。 ラメセス4世は、でかいはかだった。 一時期コプト教徒が遺跡に、滞在していた後がのこっていた。 正直王家の墓は期待はずれだった。 もっと壮大で荘厳な遺跡だとおもってたけど、想像とだいぶ違った。 その後ハトシェプト女王葬祭殿を見に行く。 ツアーガイドさんの提案で予定を変更して王妃の墓をやめて、ラムセス3世の神殿にいくことにした。 ラムセス3世の神殿には地元の遠足?の子達がキャーキャー遊んでいた。 学生の卒業旅行生たちから、「社会人になってもそんなに休暇とれんるんですか?」とか、色々と会社・社会に関する質問をされた。 こっちはせっかくの休みで、忘れたいのにさ。。。 みんな社会にでる不安でいっぱいのようだった。 ルクソールの街にて
ツアーから帰ってきてから、明日のカイロ行きの飛行機の予約にいく6:30発だ。 なんか旅行にきてから毎日早起きしてるなぁ。。 その後はひたすら街を徘徊する。 スークでの客引きのオニーちゃんは結構使える。 自分の店に連れて行く途中、親切そうに色々と教えてくれる。 でも足早に自分の店に連れて行こうとする。 その早足に付き合う必要は一切ないから、自分のペースでみて回る。 気になった店には入る。 そうするとなんかオニーちゃんが仲介してくれる。 便利だ♪ 店の人はその気になって売りつけにくるが、おにーちゃんは早く店に行きたいから振り払ってくれる。 オニーちゃんのみせにつくとウェルカムドリンクをくれて、一休み、こわもてのおっちゃんのビジネストークをおしきり、オニーちゃんに少しのバクシーシ1ポンド(20円ぐらい)を渡して終了。 安いガイドだ。 スークを離れて現地の人しかいない街にいく、ココではまったく誰も話かけてこない。 すでにガイドブックに乗ってるような手口の引っ掛けはほとんどきた。 「ガバメントスタッフ」だと名乗るおっさん。 「家においでよ」といってくるオニーちゃん。 「アーティストだ」といってくるおっさん。 マリファナや、ハッシシを薦めてくるおにーちゃん。 なんか、疲れてきた。。 そんなとき、晩飯を食いにいった店で、「ゴンっ!!」 かばんを落としたら、鈍い音。 恐る恐るかばんを開けるとカメラの液晶部分が割れてる。ショック!!!!! カメラが壊れた。 液晶が壊れたから、今までの写真が撮れてるかどうかも確認できない。。 最悪だ。。
4:30に起床して、5時にホテルチェックアウト、6:35分に離陸。 上空からみると、エジプトは本当にナイルの周りにだけ緑があって、それ以外は砂漠だった。 写真は昨日液晶が壊れて、撮れるかどうかわからないが、そのまま撮り続けることにした。 カイロ空港から、バスでタフリール広場へむかい、タフリール広場にあるイスマイリアホテルにつく。 だれかが、ここの世界一怖いエレベーターと言っていたが、確かにこわいエレベーターだ。 ちょっとリッチにWのシングルユースにで48ポンド(960円)だ。 チェックインしたら、まずはお洗濯。 今まできたすべてを洗って、明日のトルコに備える。
カイロの街を歩いてアタバのスークにいき、シャワルマをかじりながらシタデルにむかう。 途中の店でコシャリの大盛りをたべる。 コシャリ屋のおっちゃんたちは好奇心旺盛で、親切なおにーちゃん達だった。 シタデルでは、ガーマ・ムハンマド・アリというモスクを見に行くがちょうどお祈り中だから、見ることができなかった。 高台だからカイロ中が見渡せた。 ギザのピラミッドもみえた。 軍事博物館に行き、戦争の歴史も見学。 昨日と同じく、子供達の「フォト攻撃」にあった。 エジプトの子供はなぜか写真を撮ってもらいたがるのだ。
シタデルまでですでに4Kmあるいていたが、さらにココからオールドカイロに向かう。 約4Kmほど。 途中で、ルクソールであった学生さんに再会し、死者の街をとおり、オールドカイロに。 死者の街で墓と一緒に暮らす人の気持ちってどんなんだろう。 オールドカイロでは、ガーマ・アムルというモスクに行き、その後に古いコプト教会と修道院をみて回った。 オールドカイロは完全に観光地向けの街だった。 周りの街との格差がひどかった。 スラム街のなかにある別世界とといった印象を受けた。 観光バスや地下鉄で来ていたら気付かなかったとおもう。 普通の市街地との間には柵があり、警官が見張っている。 帰りは地下鉄で4駅のって帰る。
ホテルに帰ると、ルクソールで出逢ったI君と再開する。 2人でハーンハリーリに向かうことに。 地元のスークを1時間ぐらい彷徨い歩いて人を掻き分けて、人に道を聞きながらハーンハリーリにむかう。 人ごみの中では車も入ってくるし、荷台をもってくるし、怒声とクラクションが飛び交って、いい匂いがしてきたり、腐敗臭がしたりと、とにかくめちゃめちゃだ。 活気・熱気がすごいスークだ。 ハーンハリーリにつく。 またも柵があり、明らかに観光者向けとわかるスークだ。 アスワンやルクソールのスークと比べると平和で客引きもしつこくない。 晩飯は鳩の丸焼きを食べて、水タバコを吸う。 I君と結構語ってしまった。 帰りに道を聞いたおっさん(チャド)が、同じ方向だから一緒に帰ろうといいだす。 チャドはかなり長い道のりを一緒に歩き出した。 しかも腕くんで。 エジプトでは結構、男同士で腕をくんでることが多い。 なかよいと組むのだろうか? I君とチャドに関して4つの仮説を立てた。 1.いい人説 2.なんかの勧誘でどこかの店につれてかれる説 3.悪い人でどこかに拉致説 4.ホモ説 話しかけると、チャドは英語がしゃべれない。 腕を組んで目が会うと、満面の笑み。 だんだん4の説が強くなってきた。 結局、チャドは1のいい人だった。 散々、エジプトでは自分を騙そうとする人にあったが、最後のエジプシャンはナイスガイだった。 疑心暗鬼だったけど、最後まで信じて騙されないと気持ちいい! ホテルに帰った後も、部屋でI君と語らう。 ベッドにはシーツがなかったから、また虫に食われそうだから、ベッドの上で寝袋で寝る。
朝から、停電と断水、朝にシャワー浴びるつもりだったのに・・・。 最後の最後まで、さすがエジプト、やられたよ。 仕方なく、朝飯くって、バスで飛行場へ。 初日に苦労してたバスにもすんなり乗れるようになりました。 さよならカイロ! トルコ旅行記へ続く!!