旅行記を中心に、管理人KAMの人生に影響を与えた経験や本、映画等々を紹介していくブログです。
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バスは、イスタンブールに6時半に到着。 今日はついてないなぁ。雨だ。 眠い目をこすりながらバスを降りると、トニーがW氏の荷物を知らないおっさんに渡している。 おっさんが荷物を持ってずんずん進んでいく。 思わず朝から声を荒げると、おっさんがビクッと振り向いてとまる。 荷を取り上げると、おっさんがトニーに文句をいっている。 どうやらトニーはタクシーに乗ると思って気を利かして荷物を渡しただけらしい。 ただのミスコミュニケーションだったが、正直めんどくさいので、W氏がいない間にこの場でトニーに少し強めに別れを告げる。 寂しそうな目をして、チョット可哀想な気がしたが、旅の最後で変なところ気を使うのは嫌だったのでしょうがない。。
荷物をバス会社に預けて、彼に別れを告げ、イスタンブール観光にいく。 ボルボラス海峡と、金閣湾を通勤用の船で渡り、観光をする。 そして新市街観光にガラタ塔にのぼりアジア、ヨーロッパ側の大陸を見渡す。 大陸でアジア・ヨーロッパをつなぐ接点と、エーゲ海(ヨーロッパ)と黒海(ロシア)をつなぐ接点が、まさにここイスタンブールなのだ。 軍事的・政治的・商業的な要衝だということが、実感できた。 ギリシア帝国時代エーゲ海と、黒海をつなぐ海路は非常に、重要だったそうだ。 ギリシャの中心地アテネは、小麦の消費のほとんどを黒海周辺からの輸入に頼っていたようで、ボルボラス海峡を押さえることでアテネへの食糧供給路を絶つことができたのだ。 現在でも、文化的にはヨーロッパと中東の架け橋として非常に重要な位置を占めているように思える。 EUにはいまだ加盟できていないが、今後EUがイスラム諸国と付き合っていくために、そして現在増えつつある EU内にいるイスラム教徒との付き合いかたのモデルとして、トルコの果たす役割は大きいのではないかとおもう。 その後、グランバザールに行き、今日日本に帰国してしまうW氏とオトガルで別れる。 オトガルで荷物をピックアップしてホテル探しに向かう。 一番初めに目をつけていたホテルは満室で、その周辺の宿をさがすことに、日本語がメチャメチャ流暢なおじさんが話しかけてくる。 そのおじさんは、宿をやってたけど、今は改装中でやってないとのこと。 おじさんは15年くらい日本に住んでて、外タレを日本でやってたそうだ。 大沢たかおの出ていた深夜特急に出演してたらしい。 そのおじさんの紹介で、二軒となりの宿に結局泊まることに決定。 オーナーは28歳で元カノが日本人だったという、、親の反対で別れたそうだ。 結構いい人だった。 そして、いい部屋だ。 この旅で初めてTVがある部屋だ。 4~6世紀頃に作られた地下の貯水池である地下宮殿を見学。 初日に入れなかったトプカプ宮殿にも訪れた。 グランバザールとエジプシャンバザールや、街を歩きお土産を買い漁る。 夜は韓国料理屋で飯をたべた。 トルコでは、多くの韓国人観光客が幅を利かせていた。 韓国人宿というカンジの安ホテルを各地でみた。